うまくなれば勝ちたいと誰もが思うようになる
2009年 03月 05日
人は様々な目的でサッカーを行っている。ある人は健康のためにサッカーをやる。またある人は仲間づくりあるいはレクリェーションとしてサッカーをやっている。自分はあの大会に出て優勝したい、自分はチャンピオンになるんだということを目的にサッカーをしている人もいる。 人によってサッカーを始める動機は違うが、最初は健康のためとか楽しみでサッカーに携っている人でも、時がたち、サッカーに習熟してくると、「勝ちたいという意欲」が芽生えてくる。競技スポーツは勝つためにやる、というのは当然のことである。少年スポーツでも競技(試合や大会)があれば、勝つために全力を尽くす、それが正しい態度である。
勝つためにスポーツのルールを無視すること、勝つこと以外は価値がないのだと考えることがいけないのだ。こうした傾向が「勝利至上主義」といわれる。どんなことをしても勝てばいいという態度は、やはり改められるべきである。
ルールを遵守し、勝つことの価値を育成につなげることは決して「勝利至上主義」とは言えないと思う。
逆に「育成」と言う言葉で「勝利の価値」を否定することは子供たちを伸ばすきっかけを失っていると思う。特定の選手を育成し、結果を出すことによって、我がチームは育成重視のチームだと勘違いしているチームも少なからず存在していると個人的には思っている。
なぜなら、特定の選手がゲーム中に失敗してもベンチやコート内の選手たちは「しかたがない。と判断」し、それ以外の選手に対しては「アドバイス」ではなく「なぜ出来ないんだ」とプレーを否定しているように見える。
勝つためにスポーツのルールを無視すること、勝つこと以外は価値がないのだと考えることがいけないのだ。こうした傾向が「勝利至上主義」といわれる。どんなことをしても勝てばいいという態度は、やはり改められるべきである。
ルールを遵守し、勝つことの価値を育成につなげることは決して「勝利至上主義」とは言えないと思う。
逆に「育成」と言う言葉で「勝利の価値」を否定することは子供たちを伸ばすきっかけを失っていると思う。特定の選手を育成し、結果を出すことによって、我がチームは育成重視のチームだと勘違いしているチームも少なからず存在していると個人的には思っている。
なぜなら、特定の選手がゲーム中に失敗してもベンチやコート内の選手たちは「しかたがない。と判断」し、それ以外の選手に対しては「アドバイス」ではなく「なぜ出来ないんだ」とプレーを否定しているように見える。
by BlueeienFC
| 2009-03-05 16:28
| nosimコーチのつぶやき